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叩けよさらば・・・・






扉を叩いても誰も開けてくれない

扉を叩いても誰も応えてくれない

扉を叩く前に拒む姿が目に浮かんでくる

「叩けよさらば開かれん」?

そんなのは噓だ

病気、貧困、差別、いじめ・・・・

苦しみが追いかけてくる

陰に身をひそめて通り過ぎるのを待っても、苦しみは私を探し追いつづけている

扉を叩いても誰も開けてくれない


苦しむ者は扉を叩くことを恐れる

苦しむ者は扉を叩くことをためらう

苦しむ者は扉を叩くことをあきらめる

苦しむ者の扉を叩く音は小さい



いまこの瞬間でも、多くの人が苦しんでいる
たった一人の政治家でもいい、扉を叩く小さな音に、扉を叩くことをためらううめき声に、耳をそばだて聴き取ってほしい
人を粗末に扱ってはいけない
仕方がないと思ってはいけない
見て見ぬふりをしてはいけない


「国民の安全・安心のため」原稿を読む乾いた声が虚しい
政治家が口にする「絆」は空々しい
質問にまともに答えない姿勢がいらだたしい
































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アメリカ軍のアフガニスタン撤退とタリバン政権の復権について


多くの人が望むことと真逆の方向へと動いている。
女性が学ぶことを認めない、イスラム原理主義にたつタリバンがアフガニスタンを掌握したことにより、人権が大きく損なわれるのではないかと危惧される。イスラム教のことも、タリバンのことも詳しく知っているわけではないが、民兵とも政府軍ともつかない男たちが、銃を持ち、デモをする群衆に発砲をするさまを見ては、安穏としてはいられない。
そして、ノーベル平和賞を受賞したマララさんがパキスタンに住んでた頃に、住居のある地域を支配していたタリバンによって、自由を奪われていたのは遠い昔の日ではない


アメリカ軍の撤退は、“世界の警察官”の返上を意味するのだろうか。他国の安定のために軍を派遣することは、派遣兵の安全と多くのお金を費やすことで成り立っている。そのお金の全てをアメリカの財政が賄っているのだから、かなりの負担であることは容易に想像がつく。
国連は、アフガニスタンでこの役割を担えなかった。ましてや、新政権樹立の混乱した中では、国連はなおさら無力だろう。


アメリカは、武力による介入をやめて、モンロー主義の時代へと戻っていくのだろうか。中国の台頭によって、アメリカの力が相対的に落ちつつある今、世界で起こる混乱を黙って視ているしかないのだろうか。
仮に中国が台湾へ侵攻をした時には、尖閣諸島を実効支配しようとしたときには、アメリカは動いてくれるのだろうか。


他国の武力に依存し、条約を頼みとすることに危うさを感じる。条約の破棄、不履行はあり得るのだから。
アメリカを盟主とするような、一辺倒の外交を見直す時機になったのではないだろうか。時はうつろい、社会情勢もうつろう。
国防は、なにも武力だけではない。コバンザメのようでなく、コウモリのようでもない、毅然とした外交が望まれる。



































バッハ国際オリンピック委員会(IOC)会長と小川さん


2021年8月9日、バッハ会長が銀ブラを楽しんだ後に日本を離れた。オリンピック貴族と揶揄され、東京オリンピックの開催に否定的な立場から非難の標的にされていたが、銀ブラをしていた際に、通りかかった人たちから写真撮影をねだられて、それに応じる様子がテレビに映っていた。案外と気のいい人なのかもしれない。


日本に滞在中、国名をいい間違えて批判をされたが、そんなに目くじらを立てるほどのことではなかったのではないか。また、開会式、閉会式ともスピーチが長いと文句を言うのはどういうものか。この未曾有の困難の時に、オリンピックを開催したのだから、伝えたいことがいくらでもあるのだろうから・・・


なにかと人をやり玉に挙げるのは、とても悪い風潮ではないだろうか。「人の悪いところをあげつらうのではなく、良いところを見つけましょう」なんていうことを聞いて、『そうだ、そうだ』と思うのならば、バッハ会長についても実践してみましょうよ。彼は日本に損害をもたらしましたか?


オリンピック期間中と、その前後の新型コロナウイルスの感染拡大の責任のほとんどは、政府、行政と私たち国民にあります。オリンピック委員会の不注意により、感染が拡がった事実は今のところ認められていません。
ひと月近くも日本に滞在した人を非難するようでは、「おもてなし」の四文字が泣きます。


銀ブラについても、大ぜいで銀座において飲食を楽しんだというのであれば別だが、競技への参加者と同列にして、「“バブル”状態を保て」というのであれば、あまりに気の毒だ。
きっと緊急事態宣言下で、人どおりもまばらな銀座を歩いただけなのだから・・・


仮に責めるにしても、バッハ会長を招いた側を責めるべきではないか。バッハ会長が勝手に日本を訪れたわけではないのだから。
東京でオリンピックを開催することを決めた、日本オリンピック委員会(JOC)、東京都と総理、オリンピック担当大臣をはじめとした、日本政府を責めるべきではないか。
招いた側が、頬かむりをしている姿は誠に見苦しい。「バッハ会長を責めないで欲しい」「責任は私にある」と、声を大きくして言うことができなかっただろうか。

ちなみに、ドイツ語の“バッハ(Bach)”は、日本語で“小川”のことです。
日本中の小川さん! 少し親しみがわいたのでは。




【悪口雑言】 あっこうぞうごん
口ぎたなく、悪口をいうこと。さんざんにののしること。
































東京オリンッピク考 ソフトボール






やはりオリンピックは、他の競技大会を超える一流アスリート達がしのぎを削る場だった。

ソフトボールの決勝戦だけでも、日米両軍が見せた数々の眼を見張るようなプレーにうならされた。
1回裏の、ワイルドピッチを拾ったキャッチャーからホーム上の上野投手への送球による刺殺は、キャッチャーからの送球が正確さによるものに見えた。また、6回裏、ランナー1,2塁のピンチに、強烈なライナーをサードがはじき、それをバックアップしていたショートが捕球し、帰塁できなかった2塁ランナーをアウトにして併殺を成立させたプレーは、決して奇跡ではない。身を挺して捕球しようとしたサード、忠実にバックアップをしていたショートの状況をよく理解したうえでの判断と俊敏さ、そして2塁主の堅実さは全て練習の賜物に違いない。
アメリカの守備も見事だった。ホームランになりそうな大飛球を、2度も好捕する質の高いプレーを見せてくれた。

6回裏のあのプレーの後に、アメリカの選手がいつまでも見せた、呆然とした表情が印象的だ。































東京オリンピック考1 卓球混合ダブルス






はじまってみれば、オリンピックは楽しく、感動させられることが多い。
 
中でも、水谷隼さんと伊藤美誠さんペアによる、卓球混合ダブルスの試合にはドキドキさせられた。パトリック・フランツィスカさんとペトリッサ・ゾルヤさんとの準々決勝の最終ゲームでは、2―9の劣勢から追いつき、何度もマッチポイントを握られながらも勝利を手にしたのだから素晴らしい。
観ている方が「もうダメだ」と思うような状況を、1点ずつ積み重ねていった行程はとても大変だっただろう。水谷・伊藤ペアが少しずつ追い上げているときに、テレビで解説をされていた方が、「ドイツペアの方が追い込まれている」と言われていたが、きっとそうだったのだろう。

スポーツは、『心・技・体』がそろって整った時に、最高のパフォーマンスができると言われているが、試合の最中に技術力が上下するとは考えにくい。また、ケガや病気、疲労で体力が落ちることがあっても、急激に上がるとは考えられない。結局、『心(精神力)』が、試合中にパフォーマンスに影響を与える割合が多いと考えられる。

卓球は、失点による「しまった」が心を占めてしまい易い競技だと思う。「しまった」「どうしよう」と考えている間は、心が “過去” に向けられており、心のバランスは悪い状態にあるのではないだろうか。「どうしよう」が解決策を得て「こうする」と考えると心が “現在” へ移り、心のバランスが良くなる。失点が重なれば、 “過去” をひきずってしまい、パフォーマンスが悪くなる。
だから、試合中に “流れ” ができ、“流れ” を取り戻さなければ、ズルズルと失点を重ねてしまう。

では、水谷・伊藤ペアはナゼ “流れ” を取り戻すことができたのだろうか。
私は、積み重ねてきた経験値によるものではないかと思う。経験値が高ければ、解決策を見出しやすい、“流れ” の取り戻し方も知っている、相手の心理状態も察知できる、そして心に余裕ができる。
心が騒がない冷静さが、勝利の秘訣ではないでしょうか。もちろん、技術力も体力もあってのことですが・・・


決勝戦で中国ペアに逆転勝利をし、オリンピックで念願の一位になって「おめでとうございます!」そして「感動をありがとう!」































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