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直木三十五(なおき さんじゅうご)


<作家紹介>
明治24年(1891)。大阪に生まれる。早大英文科予科中退後、出版社をおこすかたわら、「時事新報」「文藝春秋」を舞台にコラムニストとして活躍。昭和5年から6年にかけて、「南国太平記」を「大阪毎日」「東京日日」両新聞に発表し流行作家となる。
没後、菊池寛はその友情から、芥川賞とともに大衆文学の新人賞である直木賞を昭和10年に設定。(角川文庫から)





・南国太平記(上)

 明治の夜明けも近い幕末、薩摩藩主島津斉興の世子斉彬と、わが子久光を藩主の座につけたいと願う斉興の愛妾お由羅の方との間に激しい抗争が繰り広げられた。
斉彬の江戸屋敷では、斉彬の子寛之助が原因不明の熱にうなされ、その小さな命も風前の灯であった。思えば澄姫、邦姫の二人の子供も原因不明の熱で命を落としたのだった。今しも、南のくに薩摩の山中では、お由羅の方の命を受けた兵道家牧仲太郎が、呪術調伏によって斉彬派に呪いをかけようとしていた・・・・。
島津斉彬、悲惨な、お由羅の方、そして財政に長けた家老調所笑左衛門をはじめとする市場の人物と架空の人物を巧みに絡ませて、薩摩のお家騒動を描く、直木三十五の代表作。(角川文庫 カバーそでから)

南国太平記(上) 直木三十五

カバー装画 玉井ヒロテル
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・南国太平記(下) 

 斉彬の三人の子供のあいつぐ変死。異国との密貿易が幕府に露見し、その責任をとったお由羅一派の家老調所の死。相次ぐ事件によって、斉彬派とお由羅の方一党との対立は益々深刻化した。
お由羅派の兵道家牧仲太郎は、凄惨な呪法争いでその師、玄白斉を斃し、斉彬をも呪殺しようとする。一方、斉彬を助け藩の刷新を行おうとする軽輩の益満休之助らは、その陰謀を打ち砕こうと牧と対決するが・・・・。
歴史が大きく動き始めた幕末、薩摩藩の「お由羅騒動」を生き生きしたタッチで描く、直木三十五の代表傑作。(角川文庫 カバーそでから)

南国太平記(下) 直木三十五

カバー装画 玉井ヒロテル
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