日韓問題
隣同士の国は、仲良くなれないものなのだろうか。インドとパキスタン。イランとイラク。イスラエルとパレスチナ。コスタリカとホンジュラス。中国とベトナム。数え上げればきりがないくらいだ。
日本と韓国も近いがゆえに長い間不仲な関係が続いており、最近はとみに悪化している。
日本での報道をもとにした考えなので偏りがあるかもしれないが、口を閉ざして意見を述べずに「なるようになるさ」と静観を決め込むのも卑怯だと思いここに意見を述べます。
領土の問題や日本の国防を脅かす自衛隊機へのレーダー照射問題に加えて、歴史上の負の遺産の賠償問題(慰安婦問題、徴用工問題)が、なにひとつ解決または改善をみずに積み重なっている。
日本からは、報復ともとられかねない『ホワイト国からの除外』が宣告されている。
こうなると“ボタンの掛け違え”という言葉では収まらない。泥沼状態といってもいい状況に陥っている。
日本からの抗議があっても、話し合うこともなく放置してきた韓国も議員団が話し合いを求めてきたが、双方が主張を述べるだけで解決の糸口が見られていない。当然のことだ。決定権のない者同士が何度話し合っても問題の解決が見られるはずもない。
アメリカによる仲裁も話題になっているが、諸問題の先送りであれば何の意味もない。
だいいち両国の首脳が膝を交えて話し合うこともなく、兄貴分に「どうにかしてくださいよ」というのは、余りにもみっともなさすぎる。そんな首脳は、即刻辞めるべきだ。
日本政府の弱腰外交にも不満がある。韓国が竹島の実効支配に対しても、「遺憾に思う」を繰り返すばかりに感じられる。
レーダー照射問題に対して、「自衛隊機を敵とみなすのであれば、友好国とは思えない」くらいの言葉を投げかけるべきだ。「厳重に抗議する」では、多くの国は甘く見るだろう。
慰安婦問題は、勝手に財団を解散したことに対して「賠償」を求める。
徴用工問題は、「戦時下での徴用は、日本政府に全責任があるので、企業の財産の差し押さえは妥当ではない」。
日本海を“東海”と呼称を変えろという問題は、「韓国が東海と呼ぶのは結構ですが、明らかに日本の西にある海です」くらいの投げかけをするべきだったのではないだろうか。(笑)
「遺憾に思う」、「抗議する」を連発しても、なんら意味をなさない。
ただし、意見の主張は対話を引き出すための前哨でなければならない。対話無くして外交はあり得ない。けれども、仲よくすることが外交の目的ではない。もちろん、戦うことが外交の目的でもない。手打ちをして、決め事をする。それだけに集中すればいいのではないだろうか。したたかに、相手を愚弄することなく。民間レベルの交流を邪魔することなく。日韓両政府ともに外交べただから泥沼にはまってしまう。お互いに相手をバカにしていないだろうか。相手をバカにすると、正常な主張も判断もすることが出来なくなる。
中島みゆきの「Nobody is Right」という曲で、「正しさと正しさとが相容れないのはいったいなぜなんだ」と歌っている。キリストも、自分が正しいと思う人はサマリアの女に石を投げろと言っている。日韓両政府の主張も、おのおのが正しいと言っているだけかもしれない。対話が必要だ。
【近所合壁】 ― きんじょがっぺき
隣近所のこと。






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