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愛知トリエンナーレの「平和の少女像」





日本による統治下で、強制的に慰安婦とされた人たちを象徴的に描いた展示作品が撤去された。出品者は、この作品で『表現の自由』を謳いかけていたらしいが、『プロパガンダ(思想・主張の宣伝広告)』の意味合いが強いという考えから撤去を求める声が多く、しかも中には過激な抗議もあったために撤去された。

『表現の自由』とはなんだろう。ひと言でいえば、「思想,主張,事実などを検閲されることなく対外的に発信する自由」になるのだろうが、すべてが自由なわけではない。日本では自由に行われてきたヘイトスピーチは制限されている。ドイツでは、ナチスが使用していたハーケンクロイツ(鍵十字)を禁じている。卑近な例では、落書き。ノートや教科書への落書きではなく、無許可で民家や公共施設にするものを誰も表現の自由とは言わない。ただし、圧政下などでの落書きは、表現の自由に当たるだろうけれども。

では、「平和の少女像」撤去は、表現の自由によって守られるべきものだったのだろうか。多くの人がこの像を知ったのは、ソウルの日本国大使館の前にこの像が設置されたときであろう。作者の意図がどうであったかを知らないが、この時点で『表現の自由』を超えて『プロパガンダ』になってしまったのではないだろうか。
像を見て、あれこれ考えを巡らせることなく、「強制的に慰安婦とされてしまった人の不幸と統治していた日本への怒り」という答えが、既に大使館前に設置されたときに出来上がっている。
主張が一方向に向いてしまった。韓国人から見れば「憎むべきは日本が犯した所業」。日本人から見れば「韓国から突き付けられた刃(やいば)」となり、『平和』の二文字が消え去ってしまっている。
本来、悲しみを感じ、平和を願い・誓う思いをこの像から得られるべきなのだろうが、もはやそうではない。反日の象徴となってしまっている。あきらかにプロパガンダだ。
そうであるとすれば、公共の施設にこの像を展示することが、そもそもの間違えであったのではないかと思われる。撤去には賛成です。

しかし、脅迫をしてきた人を探し出し、厳罰に処してほしい。この人こそ『表現の自由』を阻害している。


【自由自在】 ―  じゆうじざい
自分の思うままにふるまうこと。































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